1.1: 量子言語
この講義では, "量子言語"を紹介する。 "量子言語"は世界記述法の一種で、世界記述法の中で以下のような位置付けられる
- ⑤の英雄はアインシュタイン、⑩の英雄はフォン・ノイマン
よって(i.e., ⑦--⑨)、 "量子言語"は次の特徴を持つ:
$$
\left\{\begin{array}{l}
\mbox{ ⑦ :量子力学の標準的解釈}
\\
\mbox{
$\qquad$
(i.e., コペンハーゲン解釈の真の姿)
}
\\
\\
\mbox{ ⑧ :
二元論的観念論 (デカルト=カント哲学)の終着点
}
\\
\qquad \mbox{(各々が単発なブームと言うわけではなくて、}
\\
\qquad \quad \mbox{哲学にも(物理学と同様な)進化的発展[ギリシャ-@-E-G]がある)}
\\
\\
\mbox{ ⑨ :
未来の理論統計学(理論統計にも原理的発展がある)
}
\end{array}\right.
$$
本講義では、主に
⑦
と
⑨
に興味を集中する。
また、
- 「⑧ $\approx$ 言語的コペンハーゲン解釈(cf. 3.1節)」
$\fbox{注釈1.1}$ | [二つの量子力学]:
「○○の哲学」というフレーズがよく使われるが、
大抵は疑った方がよい。たとえば、「数学の哲学」、「相対性理論の哲学」、
「経済学の哲学」、「脳科学の哲学」等で、それなりの意義があるのかもしれない。
そういう趣味の人がごく少数いてもいいと思う。
しかし、「○○の哲学」に興味など持たずに、「○○そのもの」に興味を集中した方がよい場合が大部分と思う。
著者自身、「○○の哲学」をいろいろと読んでみたが、その意義に合点できたことなど一度もなかった。
何も偏った意見を主張しているわけではない。大学の履修案内を見てみれば、「○○の哲学」がマイナーであることは一目瞭然で、著者の意見が一般的で普通だと思う。
ただし、
と考える。 というより、これが本書の主張で、すなわち、 図 1.1の主張は、「二つの量子力学」ある。 多くの物理学者は量子力学(特に, 量子力学のコペンハーゲン解釈 )の中に形而上学的なものを感じていると思う。 その理由はFig. 1.1. の中で答えられている。 二つの"量子力学", すなわち, "Dの(実在的) 量子力学"と”Iの(形而上学的) 量子力学" があると考える: $$ \mbox{量子力学} \left\{\begin{array}{ll} \mbox{"(実在的) 量子力学" in D} \\ \\ \mbox{"(形而上学的) 量子力学" in I} \end{array}\right. $$ である。 前者は未完である。 後者は、理系の学部で、普通に習う「量子力学」で、すなわち、
で、これが本書のテーマである。 また、いろいろな"コペンハーゲン解釈"が存在するという事実は不可解で、 「量子力学の弱点の一つ」であるが、、 これは、"コペンハーゲン解釈"が物理学(i.e.,D) に属しているという先入観から生じた混乱であると考える。 Iの方向のコペンハーゲン解釈ならば、 唯一に定まり、これが本書が提案する「言語的(コペンハーゲン)解釈」である。 多分であるが、著者は、非相対論的量子力学の物理学は(すなわち、Dの方向の非相対論的量子力学では)、解釈問題は一意の解答を持たないと予測する。 |
実は、量子言語は、「確率・統計の哲学」でもあるので、「確率・統計の哲学」がダメとは言いにくいが、「確率・統計の哲学の専門家」と自称する優秀な研究者を(海外も含めて)一人も知らない。 右図のHのルートは迷路そのもので、ここを通り抜けた者はいない。 著者は、確率・統計の優秀な研究者を数多く知っているが、 彼らの中で、ポパーの「確率の傾向説」をまともな理論と信じている者など一人もいない。