この節は、次の論文からの抜粋である:

[1]:S. Ishikawa, “Bell's inequality should be reconsidered in quantum language,Journal of Quantum Information Science,” Vol. 7 No. 4, 2017, pp. 140-154. doi: 10.4236/jqis.2017.74011 ( download free)

量子言語の必然性がよくわかる例(ベルの不等式と射影公準)なので、上級者ならば、以下を読む前にこの論文を先に読んだ方が手っ取りばやい。 著者は「ベルの議論」を評価していない、というより、著者は「ベルの議論」の科学的意義がわかっていない。すなわち、「ベルの仕事」が無かったとしても困る科学者はいないと思っている。哲学者は多少困るかもしれないが、
「高尚らしいこと」は疑った方がよい。
  4.5.1: 古典システムにおいても"ベルの不等式"は破られる?

さて、「量子基礎論の華」というべき次の流れ \begin{align} \underset{\mbox{(1935)}}{\fbox{EPR論文}}  \longrightarrow \underset{\mbox{(1966)}}{\fbox{Bellの不等式}} \end{align} は、不思議な感じがする。 もちろん、

$(\sharp)$ $ \qquad \qquad $量子力学には、「光より速い何か」がある

という驚くべき事実がある。しかし、このことは量子力学の創成期からだれが言うともなく知られていたことと思う (cf. ド・ブロイのパラドックスというとしても、ド・ブロイ以前にも知られていたことと思う)。 こういう歴史の中で、「EPR」や「Bell」の重要さの意味づけは混乱していると思う。 著者の意見は、

$(\flat_1)$ 最大級に不可解な事実$(\sharp)$の発見者が「詠み人知らず」では困るので、アインシュタインの名前が使われた。 そして、もうすこし手の込んだトリックとして、隠れた変数に関連してBellの不等式が使われた

のだと思っている。  すなわち、

$(\flat_2)$ 最大級に不可解な事実$(\sharp)$に対する「驚きの象徴」として、「EPR」や「Bell」がある。

と考える。ただし、隠れた変数の議論を過大視しないのならば、「Bell」の議論は割り引いて考えてもよい。

そうならば、量子基礎論の分野の仕事には、過大評価・過小評価がつきものかもしれない。 確実な偉業は、「フォン・ノイマンの仕事」と「エンタングル状態($\approx$超光速)の応用」だけかもしれない。






まず、ベルの不等式の数学の部分を説明する。

定理 4.17 [ベルの不等式] [ベルの不等式]}$\;\;$ $(Y,{\cal G}, \mu)$を確率空間とする. 可測関数$f_k :Y \to \{-1,1\}$, $(k=1,2,3,4)$,を考えて, $C_{13}=\int_Y f_1(y) \cdot f_3(y) \mu(dy)$, $C_{14}=\int_Y f_1(y) \cdot f_4(y) \mu(dy)$, $C_{23}=\int_Y f_2(y) \cdot f_3(y) \mu(dy)$, $C_{24}=\int_Y f_2(y) \cdot f_4(y) \mu(dy)$と 定める. このとき, ベルの不等式 : \begin{align} |C_{13}-C_{14}|+|C_{23}+C_{24}|{{\; \leqq \;}}2 \tag{4.48} \end{align} が成立する.

証明: 証明は, 簡単で, \begin{align*} & |C_{13}-C_{14}|+|C_{23}+C_{24}| \\ \le & \int_Y f_1(y) \cdot |f_3(y)-f_4(y)| \mu(dy) + \int_Y f_2(y) \cdot |f_3(y)+f_4(y)| \mu(dy)=2 \end{align*}
$\square \quad$
さて,
$(C):$ 実は, 著者はベルの不等式と量子力学との関係をよく理解しているわけではないが, 一応,この節で議論しておく.


前節の議論 (EPR-パラドックス)をすこし発展させる.

次の三つのステップ(I$\sim$III)を用意する.



[Step I]: 一般基本構造$[{\mathcal A} \subseteq \overline{\mathcal A} \subseteq B(H)]$を考える. 測定値空間を $X^2=\{-1,1\}^2 = \{ (1,1), (1,-1), $ $ (-1,1), $ $ (-1,-1) \}$とする. 二つの複素数 $a= {\alpha}_1 +{\alpha}_2{}{\sqrt{-1}} $ と $b= {}{\beta}_1 +{\beta}_2{}{\sqrt{-1}}$ は絶対値が1とする.  すなわち, $| a |$ $\equiv$ $\sqrt{{}| \alpha_1 |^2 + | {\alpha}_2 |^2{}} =1$ and $| b |$ $\equiv$ $\sqrt{{}| \beta_1 |^2 + | {\beta}_2 |^2{}} =1$. 確率空間 $( X^2, {\cal P}(X^2), \nu_{ab})$ を次のように, 定義する:

\begin{align} & \nu_{ab} ( \{(1,1)\} ) \! = \nu_{ab}( \{(-1,-1)\} ) \! =(1-\alpha_1 \beta_1 - \alpha_2 \beta_2 )/4 \nonumber \\ & \nu_{ab}( \{(1,-1)\} ) \! = \nu_{ab}( \{(-1,1)\} ) \! =(1+\alpha_1 \beta_1 + \alpha_2 \beta_2 )/4. \tag{4.49} \end{align}

相関関数$P(a,b)$ は以下のようになる:

\begin{align} P(a,b) \equiv \!\!\!\!\!\!\!\! \sum_{(x_1, x_2) \in X\times X } \!\!\!\!\!\!\!\! x_1 \cdot x_2 \nu_{ab} ( \{(x_1,x_2)\} ) = -\alpha_1 \beta_1 - \alpha_2 \beta_2 \tag{4.50} \end{align} 次が当面の問題である.
(D):問題
$\quad$ 次を満たす測定 ${\mathsf M}_{\overline {\mathcal A} } ({\mathsf O}_{ab}:=( X^2,$ $ {\cal P}(X^2),$ $ F_{ab}) ,$ $S_{[\rho_0]}{})$ を見つけよ: \begin{align*}\nu_{ab} (\Xi)= \rho_0( F_{ab} (\Xi)) \;\; \quad (\forall \Xi \in {\cal P}(X^2)) \end{align*}

これを、次のステップ [II]で答えよう.


[Step: II]:

問題(D) を二つの場合, すなわち,
$\quad$ $ \begin{cases} \mbox{(i):量子系の場合 [${\cal A}=B({\mathbb C}^2 \otimes {\mathbb C}^2)$] } \\ \\ \mbox{(ii):古典系の場合 [${\cal A}=C_0(\Omega \times \Omega)$] } \end{cases} $
について, 答える.

(i): 量子系の場合 [${\cal A}=B({\mathbb C}^2) \otimes B({\mathbb C}^2) =B({\mathbb C}^2 \otimes {\mathbb C}^2)$ ]



さて, \begin{align} e_1= \left[\begin{array}{l} 1 \\ 0 \end{array}\right], \quad e_2= \left[\begin{array}{l} 0 \\ 1 \end{array}\right] \quad (\in {\mathbb C}^2 ). \end{align}

とおく. 各 $c \in \{a,b\}$ に対して, $B({}{\mathbb C}^2{}) $内の 観測量 ${\mathsf O}_c$ $\equiv$ $\bigl(X ,{\cal P}(X) , G_c \bigl)$ を次のように定める:

\begin{align} & G_{c}(\{1\}) = \frac{1}{2} \left[\begin{array}{ll} 1 & {\bar c}\; \\ c & 1 \end{array}\right], \quad G_{c}(\{-1\}) = \frac{1}{2} \left[\begin{array}{ll} 1 & -{\bar c} \;\\ - c & 1 \end{array}\right]. \end{align}

さらに, ニ粒子の量子系を ${ B }({\mathbb C}^2 \otimes {\mathbb C}^2{})$ 内で以下のように考える.

さて, 状態 $\rho_s$ $= | {\psi_s} \rangle \langle {\psi_s} |$ と $\rho_0$ $= | {\psi_0} \rangle \langle {\psi_0} |$ $\bigl({}\in {\frak S}^p({} { B }({\mathbb C}^2 \otimes {\mathbb C}^2{})^*{}) \bigl)$ を考えよう. ここに, $\psi_s=(e_1\otimes e_2 -e_2\otimes e_1)/{\sqrt{2}}$ と $\psi_0=e_1\otimes e_1$. とする. ユニタリ作用素 $U$ $( \in B({\mathbb C}^2 \otimes {\mathbb C}^2)$ が $U\psi_0 =\psi_s$ を満たすとしよう. $B({}{\mathbb C}^2 \otimes {\mathbb C}^2{})$ 内の 観測量 ${\mathsf O}_{ab} $ $=$ $({}X^2 , {\cal P}({}X^2{}) , F_{ab}:= U^* (G_a \otimes G_b)U {})$ と考えて, 測定 ${\mathsf M}_{B({}{\mathbb C}^2 \otimes {\mathbb C}^2{})} ({}{\mathsf O}_{ab} ,S_{[{}\rho_0{}]}{})$ を得る. これは, 明らかに問題(D)を満たす. なぜならば, 各$(x_1,x_2) \in X^2$に対して, 次を計算すればよい.

\begin{align*} & \rho_0 (F_{ab} (\{({}x_1 , x_2{}) \}{}) ) = \langle \psi_0, F_{ab} (\{({}x_1 , x_2{}) \}{}) \psi_0 \rangle \\ = & \langle \psi_s, (G_a (\{{}x_1 \}) \otimes {}G_b (\{{}x_2 \}) ) \psi_s \rangle = \nu_{ab} (\{(x_1,x_2)\}). \end{align*}

(ii):古典系の場合 [${\cal A}=C_0(\Omega) \otimes C_0(\Omega)=C_0(\Omega \times \Omega)$]



$\omega_0 (=(\omega_0', \omega''_0)) \in \Omega \times \Omega$, と $\rho_0 = \delta_{\omega_0} $ ($\in {\frak S}^p ({}{C_0(\Omega \times \Omega)}^*)$ ) 考える. $C_0(\Omega \times \Omega)$内の 観測量 ${\mathsf O}_{ab}:=( X^2, {\cal P}(X^2), F_{ab})$ を次を満たすように定める: $ [ F_{ab}( \{(x_1,x_2)\} )](\omega_0 ) = \nu_{ab} ( \{(x_1,x_2)\} )$. したがって, 測定 ${\mathsf M}_{L^\infty (\Omega\times \Omega)} ({}{\mathsf O}_{ab} ,S_{[{}\delta_{\omega_0}{}]}{})$ を得る. これは, 明らかに問題(D)を満たす.


[Step III]:


各 $k=1,2$ に対して, 絶対値1の複素数 $a^k (=\alpha_1^k+\alpha_2^k{\sqrt{-1}} )$ と $b^k(=\beta_1^k+\beta_2^k{\sqrt{-1}})$ を考える.  ここに, $| a^k |=| b^k |=1$に注意せよ. さて, テンソル $W^*$代数 $ \otimes_{{}_{i,j=1,2}} \overline{\mathcal A} $ 内の 並行測定 $\otimes_{i,j=1,2}$ ${\mathsf M}_{ {\cal A} } ({\mathsf O}_{a^ib^j}:=( X^2, {\cal P}(X^2), F_{a^ib^j}) ,$ $S_{[\rho_0]}{})$ を考えて, その測定値を $x (\in X^8)$ とする. すなわち, \begin{align*} x & = \big({} ({}x_{1}^{11} , x_{2}^{11}{}), ({}x_{1}^{12} , x_{2}^{12}{}), ({}x_{1}^{21} , x_{2}^{21}{}), ({}x_{1}^{22} , x_{2}^{22}{}) \big) \\ & \in {{{\times}}}_{i,j=1,2} X^2 \end{align*}

ここで, (4.50)により, 各 $i,j=1,2$ に対して, 次を得る: \begin{align*} P({a^{i},b^{j}}) & = \!\!\! \sum_{(x^{ij}_1, x^{ij}_2) \in X\times X } \!\!\! x^{ij}_1 \cdot x^{ij}_2 \rho_0 (F_{a^ib^j}( \{(x^{ij}_1,x^{ij}_2)\} )) \\ & = -\alpha^{i}_1 \beta^{j}_1 - \alpha^{i}_2 \beta^{j}_2 \end{align*}

ここで, 次のようにおいて, \begin{align*} a^1 ={\sqrt{-1}}, \; b^1 = \frac{1+{{\sqrt{-1}}}}{ \sqrt{2} }, \; a^2 = 1, \; b^2 = {}\frac{1-{{\sqrt{-1}}}}{ \sqrt{2} }, \end{align*}

次の計算を得る. \begin{align} |P({}a^1 , b^1{}) - P({}a^1 , b^2{})| \; + \; |P({}a^2 , b^1{}) + P({}a^2 , b^2 {})| = 2 \sqrt{2} \tag{4.51} \end{align} 二つの場合 ( i.e., 量子系の場合 [${\cal A}=B({\mathbb C}^2 \otimes {\mathbb C}^2)$] と古典系の場合 [${\cal A}=C_0(\Omega\times \Omega)$])で, 式(4.51)が成立することになる. もちろん,これが「超光速(=非局所性=遠隔作用)」 を示唆していることはわかるが,「超光速」はド・ブロイのパラドックスの時点 (または,もっと以前の量子力学提唱時点)でわかっていることで, したがって,

$(E):$ いまさら, 何なの?
と問いたくなるが、「超光速」は何度でも別の言い方で表現されるべき「超重要なこと」なのだろう。
そうだとしても、
量子言語にとって、「隠れた変数」とか「実在性」とかの議論が不可欠というわけではないので、
本書では、ベルの議論には関わらない


また、
ベルの不等式(4.48)と上の議論(Step[I]--Step[III])とは全く関係ない.


ただ、習慣的に、
「(4.51)の左辺$\le 2$」でないときに、「ベルの不等式は破れている」

という。
サプリ
「光より速い何か」があるとしても、それによって、「超光速通信」が可能かどうかは未定である。 一応、「不可能証明」がされていることになっているが、物理の中の不可能証明のチェックは容易ではないので、 著者はチェックし切れていない。

4.5.2: 悩むのはやめよう(Stop being bothered)

こう言った方が公平と思うが,ほとんどの物理学者は悩んでいない( by Mermin).

注意4.18 物理的観点からすれば,「超光速」や「隠れた変数の非存在」を示唆する「ベルの不等式」を深刻な問題と考えるのは当然のことで,ベルの不等式は非常に高い評価を得ている. しかし,量子言語の精神は,「物理とは一線を画す」であって,物理学とは全く異なるものを作ろうとしているんだから, 物理と似ていない方がむしろうれしいわけで,
物理的観点に振り回されない
である.すなわち,量子言語の主張は
$\bullet$ 「(ファインマンの問い掛け(第1章の冒頭)):本当の問題はない」からスタートすれば,広大なニューフロンテアが開ける。 古典系も含むわけで,単純に言って,2倍になる
であった. 同じことを,逆の言い方をすれば,
$\bullet$ 量子言語から,始めれば,本当の問題は消去される
であった.

いろいろな意見があるかもしれないが, 天才でなければ,「本当の問題はない」と信じた方が幸せになれる. これは, 偏った意見ではないと考える. 事実,大抵の量子力学の本では,「ベルの不等式,エンタングルメント」の 深淵さを強調するが,それ以上突き進むことはしないで (すなわち,「本当の問題はない」として),さらに言い換えると,
量子力学を物理学と見ないで,工学(システム理論=量子言語)と見て
その応用・実験(エンタングルに限れば,量子コンピュータ,量子暗号,量子テレポーテーション) に携わった人だけが成功している. すなわち、
量子力学の本を 料理本(Cookbook) のように読んだ者が栄光を掴んだ
わけで,マーミンの本にも書いてあるように、 コペンハーゲン解釈の奥義は,物理だとか真理だとか理屈だとか 小難しいことをつべこべ言わずに,
黙って,計算せよ ( Shut up and calculate )
であり、これは言語的解釈の奥義でもある。 したがって、言語的解釈は、コペンハーゲン解釈の真の姿であると考える。 量子言語の立場は, \begin{align} & \mbox{ 悩むのは止めよう( Stop being bothered! ) } \end{align}

である。
しかし、
あなたが天才で、しかも悩みたいならば、 主張1.1(in $\S$1.1)の 右図のDで悩もう
である。